身の回りにあるもの、例えばガラスのコップやカーテン、スマホやバッグなど一つとってもどのように作られているか考えたことがなかった。モノだけじゃなくサービスがどのような仕組みで出来ているかもあまり知らないしこれまでは興味を持ったことがない。改めてよく考えると世の中にある大概のものについて知らないことに気づく。インターネットの中には情報が溢れていて、少し調べるだけで多種多様なものにアクセスでき、その場では理解できたような気になる。しかし、知っておけばいつか役に立つかもしれないと片っ端から知識を仕入れても、ただ調べただけでは身につかなかったり、役に立たないことが多い。
必要なこと、知らなければならないことはなにか。
- 知らなければ命に関わること
- 自身が損することを許容できないこと
私はこの2つを考えた。1つ目は単純に死なないためのルール。締め切った部屋で練炭を焚いたら一酸化炭素中毒になるとかの知識。とっさに判断しなければならないことも多いので、いちいち調べていては死に直結するようなことは知っておかなければいけないと考える。何かを行う前に下調べをすることももちろん必要だ。
最低限それだけ知っておけば生きていくことはできる。あとは知らないことで自身が損をすることが許容できるかどうかだと思う。自治体の制度や便利な道具など知らなくても生きていくことはできるが、知らないがゆえに我慢を強いられることもある。どうにかしたいのであればそれについて勉強するしかない。
そして、どうか知らなければいけないことと、知っていたほうがいいこと、知らなくてもいいことは周りから得られるものだけでなく自分自身で選んで厳選しなければならない。それはその人の年齢や生活環境によって重要度が常に変化する。常にオープンな気持ちで情報を受け取れるようにしておくべきだと思う。
とはいえ知ることが無駄というわけではない。必要なのは知識のリンクができるかどうかだと考える。
また、新しい情報を手に入れることをインプットだとしたら、アウトプットをしていかないと結果的にインプットが続かないし質が上がらない。料理のレシピをインプットしたら料理を作ったほうが良いし、小説の書き方をインプットしたならさっさと小説を書いてしまったほうが良い。お金について勉強したなら貯める節約する増やすなどを実践するべきだ。
作るだけじゃなく、自分なりの解釈をすることや誰かに話すこともアウトプットになり、それらを繰り返すことで能力や個性として構築されていく。そうすることで新しい世界を自分の中に作ることができる。ただの物知りだけじゃなく、そこにその人なりの意見が加わるとまた新しいものが生まれる。その積み重ねで世界が出来ている。