好きなこと、できることほど謙遜してしまう
何らかそれなりに長く続けている趣味、趣味ではないけど人よりなんとなく上手くできるようなものがあったとして。
それを生かした仕事や話をする機会があったとき、「たいしたものじゃないので」と謙遜する人は主観ではありますが多いように思います。というか私自身がそうなんですが、べつに美徳とか思っているわけではなく、本当に大したことやってないので気が引けるときがあります。
特に自分より詳しい人が近くや知っている人にいた場合、その傾向は顕著になるのではないかと考えます。
自分は本当になにも知らないという意識がどこか根強く、好きだ得意だと言葉や態度として表に出すということ自体が恥ずかしいと感じてしまう。そういうとき「自分には本当に好きだと言えるものがあるのだろうか」と思うことがあります。好きだと思っているものがあったとしても、本当に自分はそれが好きなのかとぐるぐる悩んでしまう。
好きだから知らなければ・できなければならないという義務はない
しかし考えてみると、好きだから知りたい・できるようになりたいはわかりますが、「好きだから知らなければいけない・できなければいけない」と考えるのはおかしいのではないでしょうか。
というのも好きな子がいたとして毎日毎食何を食べているかとか、トイレの回数を知っているのかと。
知りたい知りたくないは癖(へき)にもよるのでさておき、全てを知っている人はいないはず。もし知っている場合は非合法の匂いがするのでしかるべき場所へ早めに自首しましょう。
楽器が弾きたい人は弾けるようになりたいから、スポーツが好きだから上手くなりたいから練習するのであって、できるようにならなければ好きと言えないのは変な話です。
それでも、知らないことできないことでマウントを取られることがあった場合はどうするのか。
人間、知っていることをひけらかすのは普通のことなので「へー!そんなことも知ってるんですね!すごい!天才!」と(嫌味にならない程度に)言っておけばだいたい丸く収まる気がします。
もしそこに対して「負けたくない」という気持ちが生まれるのなら、その時は相手よりも好きだと言えるように努力を重ねるべきだと思う。
なんにせよ好きな気持ちは知っている知らないに関わらず持つことができるはず。あとはそれを人の言葉に惑わされずにいられるかどうか。結局は自分自身の問題なのかもしれない。