ブログは今後こうなっていくんじゃない?っていう妄想

好き勝手に考える

人口視点

2050年には人口が1億を切るという。

しかも高齢者(65歳以上)人口が全体の40%になる。インターネットリテラシー自体は今のまま推移するとしたら、現在の60歳以下の人はほぼ100%に近くインターネットを利用しているので今よりは読者が増えるかも?といいながらインターネットそのものが今の形のままかどうかもわからないので都合良すぎとは思う。

ただし、日本語話者は確実に減るはずなのでやっぱり英語は出来たほうが良い。AIによる翻訳技術が進めばその問題も解決するかもしれないが、英語圏の人がわざわざ日本語のコンテンツを翻訳したものを読みたいか?よほど日本で強いコンテンツが生まれない限りは難しいだろう。

メタバース視点

今世の中で流行っているっぽいメタバース。おそらく本来のメタバースは今みたいに仮想空間でなんやかんやをやるものだけではなく、現実世界の延長を目指しているのだと思いますが、そうなったときテキストのメディアはどうなってしまうのか。

今みたいにVRゴーグル被って文字を読むというのはなかなかにきつく(実際に何度か試したことがあるけど長くは持たない)、親和性は良くないように思うが技術の進歩でどうにかなるのだろうか。もしこの世界に関わる人がかなり増えた場合はテキストコンテンツは衰退するのではないかと思ったが、結局は利用するのは一部の人間にとどまって、今とあまり変わらないんじゃないか。

ブログ視点

視点をミクロにしてブログ側で考えてみます。

わざわざブログなんてものを時間かけて書く人間はそれで収益を得ようとしている人が大半(自分も含みますよ)だと思います。また、収益をあげるには特化ブログが良いというのもよく聞く話ですし、そのジャンルがより細分化しているというのもよく聞く話で。そしてこの細分化というのはどこまで行くのか。行き着く先はほんの一握りの人しか読まないレベルまで細分化されたものかどうか。結局は大きなキーワードを早いもの勝ちで取っていく椅子取りゲームみたいなものです。それを取りきれなかった人たちが残りの部分を細く切って取っていくようなイメージなので、戦略として小さいところを数多く取っていくのは間違ってないでしょうけど、ジリ貧だろうなとは思います。

今は人の悩みを解決するためのブログが上位になるゲームのようなものなので、そのうち親(google)がルールを変えればまたそれに合わせて変わるでしょう。ただそれではルールが変わるだけで構造は一緒だと思うので「いかに個人として自分の考えを強く持った状態でいられるか」鍵になるんじゃないかなぁと思ってます。(タイトルにもあるように妄想なので好きに書いてます)

結局上位に表示されているのは似たようなものになりがちです。それは解決策だけが書かれることが多いから。同じようなコンテンツをgoogleがそのままにするとはあまり思えないので、+で個人の考えを価値として上乗せできる人がドメイン的に強くなるのではないでしょうか。

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