人と話をしているときや本を読んでいるとき、自分自身の考えの浅さに恥ずかしくなることがある。
言われてみれば確かにそうだと思うことに自分一人ではなぜか気づけない。ものごとを深く考えられるようになればそれは解消されるのだろうか。調べたことや考えたことを書き記してみる。
システム2を意識する
心理学用語では思考の仕方にシステム1とシステム2という名前がつけられているそうだ。
システム1はほぼ自動的に働き、例えば人の表情から笑っている・怒っているなどを素早く把握できるようなことで、自分自身でコントロールできるようなものではなく、システム2は難しい計算など頭を使っているときや、集中しているときなどに働く脳のモードのこと。
システム2は注意力が必要な状況に働く。深く考えられないのはシステム1が自動的に反応してしまっていてシステム2が働いていないからだろう。
訓練を重ねればシステム2が働くような場面をシステム1でこなすことは可能なのだろうか。もしそうなのだとしたら何らかの勘と言われているものはこのシステム1を経験で強化したものになるのか?
早く答えを出そうとしない
考えて見れば学生の頃からわからない問題があるとすぐに答えを見てしまい、その場ではわかっているつもりになっていることが多かった。大人になってからもそのような癖が抜けず、ちょっとしたことでも答えを探してしまっている。
今回の記事を書いている最中も本の中から答えをサッと探そうと、本をななめ読みしていることに気づいた。
仕事では素早い判断が求められることが多く、ゆっくりと答えを考えている時間がないということもある。大体の人はそうなのではないだろうか。焦って結果を求めることはよくあることだと思っている。
早さを求めた結果、淡い考えだけをぐるぐると再利用して生きているのかもしれない。
インターネットで調べればすぐ回答にたどり着ける。でも結果的に考える機会を失ってしまっている。そうであればあえて早く答えを出そうとしない行動も必要になる。
「なぜ」を繰り返す
深く考えるには、早く答えを出さないようにするには普段から「なぜ」と考えることを繰り返すしかないのかもしれない。
興味があることでもくだらないことでもいい。答えがすでに世の中にあったとしても考え続けるしかない。その上で文献などから補強ができればいい。
「何を当たり前のことに時間を使っているんだ」と言われたとしても。世の中の当たり前が僕らにとって当たり前だと誰が決めたのか。
他人だったらどう考えるかを考えてみる
もし自分以外の人間、親しい人でも有名な人でもこんな感じの人間だったらどのように考えるかを意識するのもいいかもしれない。人だけではなく、他の動物や自然など、ミクロにもマクロにも考えてもいい。
自分だけで深く考えるという行為が穴を掘ることだとしたら、その幅には限界がある。深く広くするためには自分だけではない考えを持つことも必要だと思う。
それが本当にその人が考えているかどうかは別にどうでもいい。
寄り道してみる
そのことについてずっと考えることも時には必要かもしれないが、寄り道することも時には大事だと考える。他のことを考えているときに最初の考えについて答えが見つかるかもしれない。
シャワー中にハッと気づきを得ることもあるので、ぼーっとしている時間も必要だ。
自分の言葉で言えるように練習する
少しでも考えられるようになったら自分の言葉になるように練習したほうがいい。誰かに喋るでもブログに書くでもいい。
誰かに教えるつもりで考えると更に自分の理解も深まりやすい。他の人の考えを聞くことで別の考えが浮かぶこともある。その段階で考えが浅かったとしても、恥ずかしかったとしても誰かと話をするのは一人で考えるよりも有意義な時間になるはずだ。
何でも調べられる時代で、自分で考えるということ
考えることは時間がかかる。考えるだけで休日が終わってしまってもったいないと思うこともある。
しかし、何でも調べれば済んでしまう時代に、知識だけを持っていても価値にはなりにくい。
自分なりに深めた考えを持つことは、自分自身を守り生かしていくことにもつながるはずだと考えている。